第1回 保険大国日本で保険のシステムを作るコツ
はじめに
今回からITエンジニアのための業界知識をリレー連載でスタートします。毎回、各業界を担当しているアクセンチュアのコンサルタントが、業界の基礎知識、業界動向、ITとのかかわりについて、自身の経験を基に伝えていきます。しばらくの間、お付き合いのほどよろしくお願いします。
http://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/circles/01/01.html
今回は、私がシステム開発で携わってきた「保険業界」を紹介します。ですがその前に、連載第1回ということで、前段では「ITエンジニアが業界知識を学ぶ意義とは何か」「業界知識はどれほど必要か」に触れておきたいと思います。
■ITエンジニアに業界知識は必要か?
皆さんは、他業界についてどれくらいの知識をお持ちでしょうか? ITエンジニアは「IT業界の人」です。一方で、ITはいろいろな業界で幅広く利用され、各業界の発展に深くかかわっているという点で、ITエンジニアは、ITが使われている、業務やプロジェクトでかかわっている「○○業界の人」でもあるわけです。
IT業界は、下請け、孫請けというように階層化されていることが多く、お客さまと直接コミュニケーションが取れないまま、決められた仕様をシステムに落とすことに専念してしまい、業界や業務についての知識をなかなか十分に身に付けられない人も多いのではないかと思います。
仕様書や設計書は、決まったことについては書かれていても、なぜそう決まったのか、最終的にお客さまが実現したいことが何なのかについて書かれていることは少ないのではないでしょうか? いざシステムを構築すると、行間にある(設計書には書かれていない)隠れた要件を満たすことができず、作業の手戻りが発生してしまうことも少なくありません。
もちろん、すべての要件を推測することはできませんが、あらかじめその業界の知識や業務の知識を持っておけば、隠れた要件を読み取ることができ、手戻りを減らすことができるようになるかもしれません。
上記に限らず、業界知識はさまざまな場面で有用です。「職業の三要素」という言葉がありますが、職業とは、(1)収入を得て生計を立てる手段であり、(2)社会の中での役割を担って社会に貢献する場であり、(3)自分の能力、実力を発揮して自己を実現する場であるそうです(Wikipediaより)。IT業界は「新3K」果ては「7K」といわれる昨今ですが、自分が担っている業界を理解することで、自分と社会のつながりを実感でき、仕事のやりがいにつながるのではないでしょうか? 業界知識や業務知識は、IT業界に籍を置く人にとって、とても重要だといえます。
■いまかかわっている業界の知識だけでいいのか?
いまかかわっている業界について詳しいに越したことはないですが、それ以外の業界(他業界)についてはどうでしょう?
特定の最新技術やソリューションを担当している人は、それらをいろいろな業界で利用してもらうために、幅広い業界理解が必要です。
しかし、そうでなくとも、ITエンジニアは各業界の栄枯盛衰で担当する業界が大きく変わることがあります。過去に一緒に仕事をしたベテランSEに話を聞くと、「いまは金融をやっていますが、昔は製造業のシステムをやっていました」ということはよくあります。
皆さんの中には、「私はずっとXX社の仕事だけでもう飽きた~。転職したい~!」という人もいるかもしれませんが、これから先キャリアを積む中で、いやが応でもまったく新しい業界に移る可能性はあると思います。
幅広く業界や業務を見ることができるのは、IT業界で仕事をする大きな魅力・特徴ともいえます。ITエンジニアであるからこそいま自分が担当している業界のみならず、幅広い業界について見識を広めておくといいと思います。すぐに仕事の役に立つものではないかもしれませんが、今後新しい業界のプロジェクトを担当するときや、少し離れた立場からいまの業界を見るときの手助けになると思います。
■どこまでの知識を持つべきか?
ITエンジニアは、どの程度業界・業務について知っている必要があるのでしょうか? 日ごろ、プログラマやSEがシステム構築を行う中で目にする業務は、非常に複雑で細分化されたものであることが多いでしょう(例えば、「XXのバリデーションは、XXとYYの合計がZZ以下であること」など)。
そういった詳細な業務は、同じ業界であっても企業ごとにまったく異なる場合がほとんどです(詳細な業務知識は、実際に各企業の仕事に携わらないと分からないところが多いため、本連載では割愛します)。
ITエンジニアがプロジェクトにかかわるに当たっては、基本的かつ全体的な業界・業務の知識と、それらを業務に活用する力が必要です。細かいことに気を取られ、全体が把握できていない状態を「木を見て森を見ず」といいます。ITエンジニアには、1つ1つの細かな要件や仕様(=「木」)と、基本的かつ全体的な知識(=「森」)を一連のものとしてとらえる力が求められます。つまり、「木も見て森も見る力」が必要なのです。
本連載は、まだ業界・業務知識になじみが薄い人、今後新しい業界にかかわる可能性がある人に向けて、さまざまな業界の基本的かつ全体的な知識をお届けします。
それでは、次のページで私がシステム開発でかかわってきた「保険業界」について紹介します。
保険業界の分類
保険とは、保険に加入する多数の人が保険料として金銭を出し合い、保険事故(自動車保険であれば交通事故、生命保険であれば死亡・入院など)が発生した人に対し、保険金として金銭を支払い、損失をカバーする仕組みです。
保険にあまりなじみのない人にとっては、保険料と保険金、どちらが払うお金で、どちらがもらえるお金なのか、とっさには混乱してしまうかもしれません。
ちなみに、保険のシステム上では、保険料はP(=Premium)、生保の保険金はS(=Sum Insured)、損保の保険金はA(=Amount)と表現されることが多いようです。
保険は、一般的に以下のように分類されます。
第1分野 人の生死に関して決められた保険金を支払う保険(終身保険、定期保険、養老保険など)
第2分野 偶発的な事故によって生じる損害を補てんする保険(自動車保険、火災保険、海上保険など)
第3分野 第1、第2分野の特性を併せ持ったものや、どちらにも含まれないもの(がん保険、医療保険、介護保険など)
第1分野は生命保険会社、第2分野は損害保険会社で扱われています。第3分野は、かつては規制により外資系保険会社の独占状態でしたが、現在は国内の生保、損保両方の保険会社で扱えるようになりました。
こうした経緯に加え、バブル崩壊後経営状況の悪化した生保会社が、外資系保険会社の下で経営再建しているケースが多いため、外資系生保会社が多く存在します。外資系保険会社では、マネジメント層が外国人であることも多いので、ITエンジニアにも英語のスキルが問われるケースがあるといえます。
日本は保険大国といわれており、「保険(生命保険)は人生2番目に高い買い物だ」という言葉もあるくらい、日本人は心配性な国民性なのか、保険に多くのお金をかけています。つまり、日本の保険マーケットは、諸外国と比べると大きいわけです。皆さんの中にも、自分は貯蓄が苦手なので貯蓄性の生命保険に入っているという人が多いのではないでしょうか?
心配性な日本人向けに、心配事をカバーする保険や特約(保障内容を充実させるために主契約に付けるオプション契約)もどんどん開発されてきました。例えば「自動車に乗ってゴルフに行こうかな! ゴルフの腕はイマイチだけど、もしかして超ラッキーでホールインワンが出るかもしれない。でも、そうなると周りの人からは祝賀会を開けとせがまれるだろうし、キャディさんにはギフトを贈らなければならないかもしれない……。そんなお金は貯金からはとても払えない。どうしよう」と真剣に心配している人向けに、自動車保険には「ホールインワン特約」なるものまであります。
昨今では、生保、損保の保険金不払い問題がニュースでも取り上げられていて、多くの保険会社が行政処分を受けています。1つにはこの特約が複雑化していて、いざ保険金を支払うというときに、事務処理で漏れが生じてしまうという理由があります。
各社とも保険商品を見直し、特約を簡素化する取り組みを始めています。保険商品の見直しは当然システム変更も伴うため、ここにもITの活躍の場があるといえます。
■保険の業務を理解しよう
さて、実際に保険会社はどのような業務を行っているのでしょうか? まずは、基本的な業務を理解して、それぞれの主な特徴を見てみましょう。
保険会社で行われる業務の中で、特徴的なものとしては大きく分けて以下のものがあります。実際の業務の呼び方は、生保・損保の違いや、企業によっても違いがあります。
見積もり さまざまな条件(契約条件)に応じた保険料の見積もりを行う
申し込み 契約条件を記入した申込書を作成する
引受け審査
(アンダーライティング) 保険会社が受けた申し込みを引き受けることが可能か(事故のリスクが高くないか)を審査する
証券発行 引き受け可能な場合は、保険証書を契約者に送付する
契約管理 既存の契約に対して、各種契約条件の変更・継続などを行う。保全、異動ともいう
事故受付・支払査定 契約者に万が一のこと(保険事故)が発生した場合に、支払条件を満たしているかどうか(不正な申請でないか)をチェックする。損保であればその損害の程度を査定し、支払金額を決定する
上記の業務それぞれにおいて、保険会社の求めていること、実現したいことが異なっています。
新契約 大きく、見積もり⇒申し込み⇒審査⇒証券発行までを、新契約という(損保では契約計上ともいう)。この手続きをいかに短期間で終わらせ契約者にいち早く保険証書を渡せるかが保険会社の狙い。ITとの関連としては、見積もり、申し込みをコンピュータ端末で行うことで、事務センターでの作業を軽減したり、複雑な引受審査をいかに素早く行うかがポイントになる。
また、新しい保険商品をどれほど素早く市場に投入できるかも、他社との差別化という意味で非常に重要。新商品投入にはシステムの追加開発が必須となるため、短い期間で新商品対応ができるような柔軟なシステム構造となっているかがカギとなる
契約管理 特に生保の契約は、契約期間が人の一生(数十年)に及ぶことがあり、損保の保険契約に比べ長いという特徴がある。ITの世界では、数年から十数年の間に技術が一新されてしまうが、技術は変わっても生保の契約は長期にわたって確実に保持し続けなければならないというジレンマがあり、生保の基幹系では旧来のメインフレームが長く使われているケースが多い
事故受付・支払査定 保険契約者に万が一のことがあった場合、その内容を査定して保険金を支払う必要がある。いままでは人の手で行っていた査定を、いかにITを活用して効率的、かつ正確に行うかがポイントになってくる
特徴的な個別機能について
保険における特徴的な業務機能について説明します。これらの業務にかかわるシステム開発に携わることも多いかもしれません。
名寄せ 社会保険庁の“消えた年金問題”で「名寄せ」という言葉も、かなり多くの人に知れ渡ったのではないでしょうか? 契約者1人が複数の保険契約を持てるため、それらが同一の契約者のものであることを、システム的に判別する必要があります。名前、住所、勤務している会社などは、結婚、引越し、転職によって変わってしまうため、単純にそれらが一緒だから同一の契約者、という判定条件では通用しません。
名寄せ処理を実装するパッケージ製品もありますが、データ・クレンジングなどの処理を含めると、その処理は相当な量になり、常にどこかで気を付けておく必要のある業務です。
保険料計算
数理計算 保険金の支出は、偶発的な事故によるものなので、保険料をいくらもらえばいいのかは、複雑な確率論に基づいて計算されている。
保険料計算や、保険会社が支払いの可能性に対して持っておく責任準備金などを算出する数理計算もシステムで実装されているが、これには深い数学的な知識が求められる。
社外インターフェイス 規制緩和によって銀行の窓口でも生命保険の商品が扱えるようになった。この銀行窓販に向けては、保険会社と銀行との間でシステム的なインターフェイスを構築する必要がある。
このほかにも、生保ではLINC(生保共同センター)、損保では損保VANという企業間のネットワークがあり、企業間の決済や、契約情報の照会などが行えるようになっています。複数の企業と契約し1人の人に多額の保険金をかける、保険金詐欺などの不正ができないようになっていたり、自動車事故情報を交換して、企業間で等級を引き継いだりできるようになっています。
■最後に
保険に限らず金融全般にいえることですが、金融の世界はほかの業界に比べてITの重要性が高いといえます。実際のモノを扱っている業界では、在庫・流通などモノの制約を受けることが多いですが、金融ではほとんどのものをコンピュータ上で仮想化して処理することが可能であり、多くの業務がITで実現されているからです。金融業界は、まさにITエンジニアとしての腕の見せどころなのではないでしょうか。
次回は「情報通信業界」について説明する予定です。