Vol.35 ITスキルがすべてと本業に関心持たず 開発後の居場所なくす
業務知識を身に付けることは,より良いシステムを作るために不可欠な条件。さらに,ITエンジニアが自分の新しい将来を切り開く武器になる。 ITスキルばかりを重視して,業務知識をおろそかにしていると,社内で行き場を失うことがある。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20071108/286776/
イラスト 野村 タケオ
ソフト開発中堅のG社で業務アプリケーション開発に従事していたAさん(35歳)が悪夢に襲われたのは3年ほど前のこと。なんと,G社が倒産してしまったのだ。2002年6月のことだった。Aさんは寝耳に水の状態で放り出され,新たな職場探しに奔走しなければならなくなった。
ネット・バブルが沈静化した当時,IT業界全体の景気は低迷していた。それでも,AさんはITエンジニアの道をあきらめるつもりはなかった。ソフト開発会社やSIベンダーの求人情報を収集し,「これは」と思う企業を必死で探した。しかし,条件が折り合うところが見つからないまま,2カ月が過ぎた。
そんなAさんの窮状を見た知人が,「S社が,実務経験のあるSEを募集しているよ」とわざわざ連絡をくれた。S社と言えば,ここ数年で急成長を遂げた金融サービスの注目企業である。そのS社が,さらなる事業拡大を見越して,基幹システムの再構築に踏み切る。このため,開発経験が豊富な人材を求めているというのだ。
「そうか。ユーザー企業という手があったか」。Aさんはそれまで,再就職先はG社と同じベンダー企業と決め込んでいた。だが考えてみれば,ユーザー企業こそ,AさんのようなITの専門家を歓迎するかもしれない。
「そろそろ,1つの企業で腰をすえて開発するのも悪くない」という思いもあった。というのもG社では1年中,開発スケジュールに追われっぱなしの日々だった。新技術に触れられることは刺激的だったが,なにしろ仕事に切れ目がない。1つのプロジェクトが終わっても別の開発案件が待っていて,「システムを作り上げた」という達成感を感じる暇もなかった。そんな生活に,Aさんは少々疲れていた。加えて,「もう選り好みしている場合ではない」という焦りもあり,S社の面接を受けることにした。
面接の手応えは上々だった。前職での実務経験を高く評価されたし,面接官の説明によると待遇も良かった。数日後,採用通知を受け取ったAさんは,S社で第2のエンジニア人生を送ることを決意した。
業務知識への関心ゼロ
Aさんは2002年10月,S社に入社してシステム部門に着任した。「新たな環境で,これまで培った技術や経験を生かすぞ」。Aさんは,自信と期待に胸をふくらませていた。
ところが,実際は戸惑いの連続だった。新システムのユーザーである企画や営業担当者と,同じ土俵で話ができなかった。意思疎通がうまくいかずに行き違いが重なり,ささいな問題でも解決に時間がかかった。これらは,システムに対する認識の違いもさることながら,Aさんに金融関連の業務知識がないことが原因だった。
しばらくするとAさんは,ユーザーとの打ち合わせは他のメンバーに任せて,自分は開発に専念するようになった。「私はITスキルを買われて入社したんだ。金融知識は必要ない」と開き直ったのである。
それから2年あまりがたち,2005年2月に刷新プロジェクトはいよいよ終盤に差し掛かった。開発はほぼ終了し,あとはテストを残すだけになっていた。「いろいろあったが,ようやくここまでこぎつけた」。オフィスの自席で感慨にふけっていたAさんはふと,重大なことに気付いた。システム稼働後の,自分の処遇である。
S社はもともと,システム業務のアウトソーシングに積極的な企業である。企画やネットワーク管理といった一部の業務を除き,通常の運用保守業務は外部の業者に委託していた。現在,20人の開発担当者を抱えるシステム部門だが,プロジェクト終了後は大幅に縮小されるだろう。
社内の居場所を失う
「私はどうなるんだ?」。Aさんは,急に不安になった。システム部門に残れたとしても,自分の強みである技術力を発揮できる機会は極端に少なくなる。さりとて,今さら営業や管理部門へ移れと言われても,業務をこなせる自信がなかった。S社に入社して3年近くたつAさんだが,金融サービスについての知識は相変わらず,ほとんど身に付いていなかったからである。
前職では,ITエンジニアとしてのスキルアップを考えていればよかった。しかし,S社ではそうはいかなかった。ITが本業ではないだけに,会社の方針によってIT以外の業務に転向するケースも大いにあり得る。この先ずっと,S社でエンジニアの仕事を続けられると信じて疑わなかったAさんは「まさか,こんな落とし穴があるなんて」と,長期的な視野を持たずに再就職先を決めてしまったことを後悔した。
Aさんは,さらに考えをめぐらせた。「いっそのこと,IT業界に戻るか」。年齢的に言って,今が最後のチャンスだろう。だが,IT業界への転職は大きな賭けだ。ベンダーを取り巻く環境はいまだ厳しく,脱落する企業も少なくない。Aさんは,3年前の悪夢を思い出した。あんな思いはもうごめんだった。その点,S社は優良企業で,将来の見通しは明るい。システム開発へのこだわりを捨ててでもS社にとどまれば,安定というメリットが手に入る。ただしその場合,業務知識の不足は大きな足かせになるだろう。「どうしたらいいんだ」。Aさんは,自分が人生の岐路に立っていることを,ひしひしと感じた。
その時,部長の声が聞こえた。「A君,そろそろ行くぞ」。ハッと我に返って時計を見ると,会議が始まる時刻だった。テスト計画を固めるための会議である。新システムは,Aさんの将来への不安をよそに,着々と完成に近づいていた。それを喜ぶべきか,悲しむべきか。Aさんは,複雑な心境で会議室に向かった。