骨を埋めます
6年前、Kさん(29歳)は両親から地元S県に帰ってくるように言われた。
「大学4年間、自由にさせてやったんだから、今度は言うことを聞いて」
Kさんには、親に従うしかない理由があった。
http://japan.internet.com/column/career/20070820/1.html
Kさんは就職活動ではかばかしい結果を出せなかった。希望していたマスコミ関係は全滅、その他、有名どころも軒並み門前払いになっていた。地元に戻れば、親戚のコネで地元の上場企業に就職できるのは確実…。Kさんは「しばらく地元で経験を積んで、金も貯めて、再上京の準備をしよう」という気持ちを秘めて、親元に帰ったのだった。
今年になり、Kさんは風向きが変わったことを感じていた。地元の最有力企業のひとつで、人材確保に困ることのなかったA社が新卒採用で苦戦。悲鳴をあげているのを聞いて、Kさんは内心ほくそ笑んでいた。
我々のところに相談に来たKさんは野心あふれる目つきで、上京に向けての意欲を申し立てた。
「もちろん、いまさらマスコミ関係なんて言うつもりはありません。メーカーでの企画のキャリアがありますから、同業同職種で転職したいと思います。ただし、東京で、出来れば世界的に影響力を持つ企業がよいですね」 現職A社は業績こそ堅調なものの、取引先は近くに工場を持っている企業に限定されていた。上昇志向があれば、彼の希望は当然であるし、キャリアからいって見込みも十分だった。
懸念は慰留である。コネで入社したKさんなので簡単には辞められないだろう。
「かなり色々言われるとは思いますが、腹は決まっています。まずは、『有名企業からの内定』という既成事実を作ってしまいたいんです」
Kさん自身も慰留対策を考えていた。
「そこなら仕方がないと思えるような内定があれば、説得してみせます」
Kさんは力強く言っていた。
転職活動でKさんが内定を勝ち取った日用品メーカーは、トップブランドではないが世に名前を知られた会社。これならA社も反対しきれないだろうと、Kさんは勇んで退職交渉に入っていった。だが、彼を待っていたのは、会社・家族・地域、総ぐるみの説得だった。
辞意を示すと、すぐに会社で役員をしている親戚が駆けつけ、「俺の顔を潰す気か」と渋い顔をしたところまではKさんの予想していた範囲だった。問題は家に帰ってから。帰宅すると両親・兄姉に加え、祖父母・いとこ・叔父叔母・大叔母までが大集合していた。
「お前は故郷を捨てる気なの?」涙目の母親を前に、Kさんは慌てて釈明をはじめた。
「そんなつもりは…。ただ、転職したいだけ、もっと大きなところで自分の力を試したいだけだよ」
「同じことだ。結局は、ここを出て行くんだから」
今度は父親から。そして口々に「なんとかならんのか?」「せっかく戻ってきたのに…」と、怒濤の攻勢がはじまった。
週末になると、どこから連れてきたのか10年来会っていない中学時代の担任、市役所に勤める高校の同級生、近くに住む県議会議員といった人たちが集まってきて、「地域に根ざした生き方の素晴らしさ」を代わる代わる説いていった。
もっとも驚いたのは、家族にはまだ話していなかった恋人が、会社の上司と一緒に自宅に話し合いにきたことだった。
「ど、どういう繋がりなの?」
「小学生の頃、家庭教師してもらってて…。ねえ、私からもお願い」
地元の人間関係の狭さは、Kさんの周りに張り巡らされた網になっていた。
「お前の人生は、ここにあるんだよ」父親は重々しくそう言って、Kさんの肩を叩いた。
Kさんはその後も三週間粘ったが、誰一人、自分の味方になってくれる人があらわれず、ついには折れてしまった。
「あくまで一般論ですが、一度辞めようとした事実は、後々になって響いてくることが多いですよ」我々は彼に「残る」リスクを伝えたが、Kさんはそれも理解した上だと言った。
「分かっています。ですが、ダメです。ここは…、ここに骨を埋めるしかないんです」
20代の彼にそこまで言わせるとは…。地域の結びつきが弱まったというが、Kさんの話を聞く限り、そうでもない。彼の選択が正しいかどうかは、我々にもわからない。きっと、ずっと後になって、彼自身が判断することなのだと思う。