アツすぎる
今年の夏は猛暑になると言われている中、全国の梅雨明けはやや遅れ気味。蒸し暑い日々が続いている。
Sさん(28歳)は、『暑い』ではなく『熱い』、いや『お熱い』転職希望者だった。転職相談の日、彼はフィアンセを連れてきたのだ。
http://japan.internet.com/column/career/20070726/1.html
「ここで会社を決めるの?」
上品にカールしたマツゲをしばたたかせて、Sさんのフィアンセは周囲を見渡した。
「すぐには決まらないよ。まずエージェント、キャリアアドバイザーとも言うかな。そんな人に会って話をするんだ」
「エージェントかぁ」
会社を早退して昼過ぎに我々のところに来たSさんは、相談後、一緒に食事へいくのでフィアンセを連れてきたのだと我々に説明をした。
「もし、同席が無理なら、彼女にはどこかお茶にでも行くように言いますが…」
「無理じゃないですが…話しづらくないですか?」
結局、Sさんのフィアンセは、待合室で面談が終わるのを待つことになった。面談がはじまっても、しばらくの間、Sさんはふたりの馴れ初めを披露し、フィアンセが自分にとっていかに重要な存在かをえんえんと語る。我々はあてられっぱなしだった。
Sさんのキャリアはサービス事業へのコンサルタント業務。転職に向けての姿勢は「基本のキャリアが保てるなら、決して制限を設けない」ということだったので、我々は長い時間をかけデータベースをあたり、彼に提供する情報を精査した。
そして、そのうちの1つが外資系企業A社の東南アジアを勤務地とするレジャー事業企画の求人だった。実はSさんのクライアントのひとつにレジャー関係の企業があり、彼はそこで大きな成功体験を積んでいたのである。
仕事内容を見て、Sさんは目を輝かせた。担当したレジャー事業のクライアントには、Sさんが「将来、こうなりたい」と目標にしている人物がいた。A社に転職することが出来れば、Sさんはその人と同じキャリアを辿ることが出来る。しかし、いきなり海外滞在の仕事となると…。
面談を終えたSさんは、久方ぶりの再会を果たしたがごとく、待合室で待っていたフィアンセと見つめあい、海外滞在について話し合った(正味2時間くらいの別離だったのだが)。我々が口を出す話ではないものの、横から見ていると、どうやら彼女の表情に迷いはなさそうである。
「やりたいお仕事があるのなら、ためらわないで。私はどこにでもついていくから」
「ありがとう…やっぱり君は僕のことをわかってくれているんだね」
フィアンセは瞳に星を浮かべんばかりの眼差しでSさんを見つめ、Sさんはフィアンセに向かって力強く頷いたのだった。そして身を寄せ合い、ささやきあいながら、エレベーターへ消えていった。
その後の転職活動は順調だった。A社は採用力のある企業だが、いきなりの海外勤務ということで、この求人に候補者は少なかった。加えて、A社には経験5、6年の社員が極端に不足していたので、Sさんように業界知識があり、意欲が高い応募者は諸手をあげて歓迎だったのだ。
ただ、内定はすぐに決まったものの、A社は慎重でもあった。
以前、同じように転職で入社した人が、現地の上司とあわずにすぐに辞めてしまったことがあったために、最終的な返事は、現地に行って現地の上司・同僚に会ってからにして欲しいという要請があったのだ。
結婚を控えていたSさんは、この現地面接にフィアンセを同行させた(もちろん、フィアンセ側の旅行費用まではA社も出してくれなかったが)。どんな場所か…、どこに住むか…、そんな新婚生活の設計にSさんとフィアンセは胸を膨らませていた。
面接はうまくいった。仕事をよく理解していたSさんは、現地スタッフともすぐに具体的な話ができ、相性の面でも問題はなかった。
しかし、同行したフィアンセは現地でニコリともしなかったという。彼女を苛立たせたもの、それは『暑さ』だった。
いくつかの観光スポットやレストランをまわった二人だったが、屋外はもちろん、屋内も冷房の効きが薄く、フィアンセはすぐに音をあげてしまった。
「三日滞在するのも苦痛なのに、こんなところで生活するなんて、とても無理」
フィアンセに反対されたこの転職は、現在白紙の状態である。
A社は「他に採用する人はいないので、取りあえず現状のメンバーで仕事はまわすしかありません。けれど、後からでもSさんがプロジェクトに加わってくれるのであれば、歓迎します」と、言ってくれている。
Sさんも諦めていない。なんとかフィアンセを説得してやりたい仕事を、と考えているが、彼女の両親も娘の話を聞いて転職反対に回っており、見通しは明るくない。
面談の様子を見ていた我々としては、「あれだけ熱くSさんを見つめていた彼女なのに」と、つい思ってしまうわけであるが…。
結局、『熱さ』よりも『暑さ』の方が強力であるということなのだろうか。
※このコラムは、事実を元にしたフィクションです。