どん底
Hさん(35歳)は転職したリサーチファームA社で、屈辱的な体験をした。
A社には、元上司にあたるCEO:T氏の誘いで入社、実力を見込まれ大型案件の調査にあたっていたが、仕事が山場を迎えた時にT氏は体調を崩してしまった。
「任された仕事は、必ずやり遂げます」
Hさんはそう約束したが、トップが不在になるやいなや、A社内では反T氏のグループが台頭。T氏サイドの番頭格だったHさんは、ある日突然解雇されてしまったのだ。
http://japan.internet.com/column/career/20070619/1.html
自分が築いてきた仕事を他人にとられ、自分を見いだしてくれた恩人T氏との約束も果たせなかったHさん、彼の悔しさは相当なものだったに違いない。
それだけの目に遭えば、人間不信になったり、どこか凹んだ様子があってもおかしくないのだが、我々のところに来たHさんは爽やかで、実に堂々としていた。
行動的なHさんは、我々が紹介した会社のほとんどに応募し、また些細な用事でも直接我々のところに足を運んできてくれた。
「時間をとらせてしまって申し訳ないのですが…」
魅力的なほほえみを浮かべながらHさんは言った。
「家でダラダラしているより、スーツを着て外出する方が性にあっているのです」
Hさんは、いつでもパリっとしたビジネスパーソンで、落ち込んでいる様子はまったくなかった。それどころか、どうやって知ったのか、担当キャリアアドバイザーの誕生日にお祝いのメッセージをくれるほど、行き届いた気配りをみせてくれたのだ。
こういう人材は企業も放っておかない。Hさんはしばらくしてマーケティング事業B社で内定となり、好待遇での転職に成功した。
入社後、我々はB社GM(ゼネラルマネージャー)から連絡をもらった。
「Hさんは素晴らしいですよ。仕事の覚えも早いですし、何より精神的にあんなにタフな人はいませんね」
その言葉に我々は即座に同意した。
「前の会社で、相当もまれたようですから」
「そのことではなく、お嬢さんが亡くなられ…。ご存じなかったのですか?エージェントさんはてっきり…」
我々は驚きのあまり返事ができなかった。
「うっかり喋ってしまいましたが、彼(Hさん)、社内ではオープンにしていることなんです」
そう言って、あらためてGMは教えてくれた。Hさんが転職中に人生で起こりえる最も悲劇的なこと、次女の死を経験していたことを。
我々はHさんが「子供が病気なので、しばらく面接に行けません」という連絡をくれたことを思い出した。数日間はたまたま面接日程が入らず、しばらくしてHさんから「来週からなら面接に行けます」とメールがあったため、ほとんど支障なく転職活動は続けられていた。
まさか、その間にお嬢さんを失っていたとは…。
GMとの電話の直後、Hさんの方から我々に電話が掛かってきた。
「その節はありがとうございました。お陰様で仕事は順調です」
「そうですか」お子さんの話をしていいものかどうか躊躇していると、Hさんが話を続けた。
「次女のことを申し上げなかったことは、すみませんでした。信頼していなかったわけではなく、特別扱いをされたくなかったのです」
「こちらこそ申し訳ありません。何も気づかず、お悔やみを…」
「ありがとうございます。もともと病気は持っていたのですが、急に悪くなったのです。(次女が急逝した時は)三日間、起きあがることも出来ませんでした」
「失礼な言い方に聞こえたら申し訳ありません。けれど、本当にまったく気がつきませんでした。その後の面接も素晴らしい評価でした。どの企業も自信に満ち溢れた人物だと言っていましたし、こちらに立ち寄られた時も、完璧なビジネスエリートに見えました」
「失礼なんてとんでもない」
Hさんはそこで一息をいれ、噛みしめるように言った。
「人間、うまくいっているときは、誰だって立派に見えるものです。どん底にいる時こそ真価が問われる。『今こそ自分が何者かを世に示すときだ』と自分に言い聞かせ、自分を奮い立たせていました。私には続けなければならない生活がある。妻もいる。長女もいる。私には仕事が必要でした」
どん底にいる時こそ、その人の真価が問われる。その通りだろう。そしてHさんが見せた真価は、感嘆すべきものとしかいいようがなかった。