第40回 キャリアに人生に欲張りに生きた20代
■就職氷河期のまっただ中でエンジニアを選ぶ
http://jibun.atmarkit.co.jp/lcareer01/rensai/ten40/ten01.html
今回の転職経験者は髙井紀彦氏。大胆不敵と思えるような行動力と熱意で真剣に自分の人生やキャリアと向き合い、前進する道を選んできた。30歳を前に2度の転職を経験し、いま3社目のキャリアがスタートしたところだ。
本題に入る前に就職氷河期を経験した世代について述べたい。総務省統計局の労働力調査によると、2000年以降の数年は20代前半の完全失業率が9%台となるほど高水準だった。2003年には最高9.8%まで上昇する。これは未成年を除き、ほかの年代の倍ほどの割合だ。つい最近までは切実なまでに「就職できない」、たとえ就職できたとしてもすぐ退職や転職を迫られてしまうような若者が多かった。彼らはまさに社会のしわ寄せを受けてしまった世代なのである。
髙井氏の話を始めよう。同氏は学生時代に情報工学を専攻した。とはいっても電子工学科の情報工学コースなので「回路の勉強とともにアルゴリズムやCのプログラミングを経験した程度」と本人はいう。ITに本格的にかかわるようになったのは就職してからだ。
就職しようとしたときはまさに就職氷河期のまっただ中。会社や職種を選ぶ余裕はまったくない。IT系企業のエンジニアを選んだのは情報工学を専攻したからではなく、採用される見込みがありそうだったから。「どこか入れるところ」に内定をもらうだけでも必死だった。
■テスト工程が続く日々に焦りと不安が
就職した会社はグループを含めると数千人規模の大企業。新人研修を終えた髙井氏に命じられたのはテスト工程のチームへの配属だった。だが本音ではテスト工程よりもっとスキルを得られるような仕事をしたかった。テスト工程では自分の目指しているようなスキルアップは望めないと思ったからだ。プログラミングを行う新人仲間の配属先をうらやましく感じた。
「このままずっとテスト工程だとこの業界で生きていけないのでは?」
同期はプログラミングを経験してどんどん育っていく。テスト工程をやっている自分の境遇がもどかしく思えてならなかった。「いつまでテスト工程の仕事が続きますか? ほかの部署や仕事に変わる見通しはありますか?」。思い切って上司に尋ねた。しかし空返事で相手にしてもらえなかった。
不安と焦りが募る。「新人なのに、そう焦らなくても」と思えてしまうが、それが就職氷河期を体験した世代の危機感なのかもしれない。ITエンジニアになった以上、生き残るにはスキルが必要である。それなのにこの先スキルを増やせる見込みが乏しい。それは十分悲観すべきことなのだろう。
数カ月から半年単位のテスト工程のプロジェクトにいくつか携わった。だが、少なくとも数年はテスト工程だと上司からいい渡されていた。
「それならば、この会社にこだわることはない」
■アットホームな会社でJavaのスキルを身に付けたい
就職して1年ほどで転職を思いつき、その半年後、早くも最初の会社を退社する。もともとその会社には長く勤める人はそう多くなく、数年で転職する人が多かった。そのことも退職への後押しとなった。
最初の会社の反動だろうか。次は小規模なベンチャー企業に転職を決めた。規模は前職のおよそ100分の1。当時はJavaが話題の技術となっており、高井氏もJavaに着目しそのスキルを究めるような環境で働くことを目標にしていた。
採用面接では「Javaの仕事はできますか? 今後どんな案件がありそうですか?」と積極的に業務内容について質問した。面接では社長自らが面接に応対し、「Javaの仕事はありますよ」と答えてくれた。
高井氏は社長や会社のアットホームな雰囲気に好感を抱いた。以前の会社では直属の上司ですら部下の仕事の見通しをつかめていなかったが、今度は安心だと感じた。
さらに最初の仕事を割り当てられるときに「ごめんね。最初の仕事がJavaではなくてASPの仕事なんだけど。ほんの数カ月間だから」といってもらえた。希望どおりではないことについて配慮してもらえたことがありがたく、心にしみた。
■組織を形成し始めた会社に違和感
ASPの仕事が終わると、念願のJavaを中心とした仕事に就くことができた。オープン系のWebシステム開発でサーブレット、JSP、EJBなどをばりばりとこなしていく。もちろんテスターだけではなく、仕様検討からプログラミングまでを行う。ようやく納得のいく仕事ができるようになった。
なおその会社ではITエンジニアがそれぞれ顧客の会社へ出向して働いているので、社内に組織はないも同然だった。経営に携わるのは社長とその周辺に限られ、あとは少数精鋭のITエンジニアがフラットに存在していた。上下関係はほとんどなく、それぞれの自主性に任されていた。
ただ正直、たまに「自分はどこの会社の人間だろう」と帰属先について漠然とした疑問を感じることもあった。だが隔月で懇親会、年に1度は海外に社員旅行に行くことでその疑問は少し和らいだ。うまの合う先輩がいたことも心の支えだった。
ところが数年たち、会社は変わり始めた。それまでフラットだったのに、社員が増えたことで組織が形成され、何人かがリーダーに就任した。しかし髙井氏にはそうした会社の変化や人選に違和感があった。
実際に組織が動き始めると、さらに違和感は増していった。当初大企業にいたからこそ、にわか仕立ての組織や上長に不満を覚えた。
「上長は上長の仕事をしていない。いない方がまだマシだ」
■心は次のステージを目指し始める
髙井氏は自立したITエンジニアだった。会社に頼ることなく、実践から必要なスキルをみるみるうちに吸収した。必要なスキルは主にネットから情報収集を行い、講習やイベントに足を運ぶこともあまりなかった。認定試験にもそれほど興味がなかった。
会社でうまの合う先輩は「おれはコーディングで食っていく」とプログラマとしての自負があったが、「自分は違う」と感じていた。ITエンジニアとして生きていくためのスキルをがむしゃらに追求したが、それだけで終わらせる気はなかった。
「次は上流工程をやりたい。また将来はプロジェクトや人材の管理をやれるようになりたい」。髙井氏は年を追うにつれ、ステップアップしたいと考えるようになっていた。
またITエンジニアであり続けることに対するこだわりはあまりなかった。それより仕事でもっと人と接することを希求するようになる。会社が組織化する動きへの反感も重なり、会社から徐々に気持ちが離れていった。
■30歳になるまでにワーキングホリデーを
もう1つ、髙井氏には会社から離れたい理由があった。ワーキングホリデーを経験してみたかったのだ。だがワーキングホリデーには年齢制限がある。加えて髙井氏にとって「30歳になる前にはワーキングホリデーから帰国して次の仕事に就いておきたい」という目標があった。30歳を過ぎると再就職するにも実績がより重視されると見込んでいたからだ。
逆算するともうあまり時間はない。そこで27歳のとき2つ目の会社を退職し、ワーキングホリデーへの参加を決意する。行き先はカナダ。「カナダなら英語圏で英語がきれい(くせがない)だから」というのが決めた理由だ。
カナダでの生活はまず西海岸のバンクーバーから始まった。カナダはかなり北にあるが、バンクーバーなら気候も穏やかで日本人も多い。次にスキーリゾートで有名なウィスラー、さらにナイアガラ周辺などを転々とし、アルバイトで日々の糧を稼いだ。
アルバイトをしながらも常に勉強し、自分を磨いた。例えばナイアガラ周辺で観光客相手にツアーガイドのアルバイトをしたときについてこう話している。「説明するために周辺の地理や歴史などを学びました。またよく理解してもらうためにはどう話せばいいかを考えました」。いかにも勉強熱心な髙井氏らしい。
■人生とキャリアを考え抜く時間が持てた
1年間、カナダでいろいろ考えた。日本の外で日本にはないものを見て、逆に日本が見えてきた。またサラリーマンから離れて、逆に会社員の立場や働く意義を徹底的に考えた。普通に働いているだけでは、経験できないことばかりだった。ワーキングホリデーを体験したからこそ、十分な時間を使って自分にとっての価値観を考え抜くことができた。
ワーキングホリデーの期限が切れるころ、カナダに残るかどうかもう一度考えた。もしカナダに残るなら今度は就労ビザを取らなくてはならない。ワーキングホリデーでアルバイトをするより難しい。カナダで新しい人生を始められたとしても、カナダでの生活が失敗したときのリスクが大きいと感じた。
困難で労力が必要な割には、それほどカナダに残る意義は見いだせなかった。「カナダに埋もれたくはなかった」と髙井氏は苦笑いする。結局予定どおり日本に帰国する道を選んだ。
帰国して間もなく就職活動を開始する。当然ながら離職中なので、一日中就職活動に費やすことができる。いくつかの紹介会社に登録して次の就職先を探した。2カ月間徹底的に会社を回り、同時並行で面接へ赴く。間を置かずに面接をこなすことで、会社をよく比較できると考えたからだ。
■管理職を目指して再スタート
当初はプリセールスなど、人と接する機会が多そうな技術営業を目指した。だが20代で経験がなかったためか、結果は芳しくなかった。同時にそれまで自分が行っていたシステム開発の仕事も探した。
最終的にはインフラ系のエンジニアかシステム開発のエンジニアという選択肢に絞られた。よくよく考えたが、インフラ系は「ハードがメインでどこか面白みがない」と髙井氏には感じられた。それに「つぶしが利かないのでは」という懸念もあった。これまでアプリケーション開発を続けてきたせいか、インフラ系への転向には踏みとどまった。
現在はシステム開発を行う会社でいままでとは逆のプロパーという立場で再び働き始めたところだ。29歳のいま、以前に掲げた「30歳までに3つ目の会社に就職」という目標を達成した。
将来髙井氏はプロジェクトマネージャなどを経験して管理職へ進むという野望を抱いている。だからいまの目標は管理職で必要なスキルを得ることだ。それはITエンジニアのスキルとは違う。どうするかはまだ手探り状態だが、まずは管理職の仕事を注視して働き方を研究することから始めようと思っている。当面の目標は32歳ごろまでには仕事の中身を「技術半分、管理半分」とすることだ。
また「カナダで得た英語力を維持すること。これまで得た人脈を大切にしたい」と髙井氏はいう。技術で始めたキャリアだが、いまは「人」に関心があるようだ。
■その行動力は無鉄砲か、成功へとつながるか
髙井氏の父親は小さな会社を経営している。だが髙井氏は父の会社を継ぐ気はなく、起業することにも興味がない。「ずっと会社員がいい」という。髙井氏は「会社を一歩出ると仕事はきっぱり忘れます」と話す。プライベートの時間も大事にしたい。そう考える高井氏にとって、人生と経営を一緒に考えなくてはならない社長業は気が重いのかもしれない。現在は独り暮らしだが、「一緒に暮らす家族がいるといいな」とほのかに結婚へのあこがれも抱くようになってきた。
一方、父は息子を厳しく見守っている。髙井氏の堂々とした話しぶりは父の目には少々自信過剰に映るようだ。転職やワーキングホリデーに眉をしかめ、時にはこういい放つ。
「お前の自信には根拠がない。人生はそんなに甘くはない」
いつの日にか髙井氏は父の予想どおり、人生の辛酸をなめることになるかもしれない。だがまだその気配はなく、けろっとしている。「将来父に『いったとおりだろ』といわれたくないですね」と笑う。
これまで髙井氏は自分の将来に潜む影を見つけたら、すぐに脱出すべく策を講じて行動に移してきた。また自分を磨くことにも熱心だ。彼からにじみ出てくる活気や自信は今後も何よりも彼の武器となるだろう。