運命の出会い、華麗に転身
【2007年3月27日】
夫でシェフ知さん(中奥)と一緒に「オステリア・バスティーユ」を切り盛りする山本恵美さん(京都市中京区)
http://www.nikkei.co.jp/kansai/women/39095.html
もっと自分に合った職場があるかも――。日々の業務に追われるなか、そんな思いにとらわれた経験は誰にでもあるはず。最初の一歩は簡単ではないが、ふとしたきっかけから驚きの転身を遂げた元OLがいる。フレンチレストランを夫と開業したり、モデル兼カメラマンとして活躍したり。彼女らを新天地に導いたのは偶然の出会いをモノにする、しなやかで強じんな自らの意志だった。
京都・四条烏丸近くにあるフランス料理屋「オステリア・バスティーユ」。十数席のこぢんまりした店内は毎晩、満席の客でにぎわう。目端の利いた接客サービスに徹するのが、料理以外のすべてを取り仕切る山本恵美さん(30)。接客や雰囲気づくり、メニュー提案から経理までシェフで夫の知さん(31)を支える裏方のヒットメーカーだ。
●入社2年目で頭角
2003年末にこの店を夫と開くまで、飲食業とは全く別の世界にいた。同志社大法学部卒業後に選んだのは「自分が成長できそうな」システムエンジニア(SE)の道。情報大手のインテックホールディングスに入社、いずれは経営コンサルティングのスキルも習得しようと心に決めた。
プログラミングをゼロから学んだ山本さんは入社2年目にして頭角を現す。コミュニケーション能力を買われ、顧客企業との折衝を一手に引き受けた。プログラミング技術も次々吸収、数多くの業務システムの開発に携わった。02年には先端のウェブ関連技術を学ぶため同業他社へ転職。敏腕SEへのステップを着々と駆け上がった。
フランス料理に情熱を燃やしていた今の夫と知り合ったのはそのころ。夫は修業のため渡欧、山本さんは膨大なソフト開発作業に追われる遠距離恋愛が続いた。そんな折、夫が京都で店を開くことを決め、短期間でも手伝おうと退職。
お店が軌道に乗ればSEに復帰するつもりだったが「レストラン経営の難しさを知ってしまった」ことで、持ち前の挑戦魂に火が付いた。本場の味を手ごろな値段でボリュームたっぷり提供するというコンセプトが受け、すぐ評判の店に。努力が100%自分に返ってくるのが新鮮だった。
「おいしいだけじゃ経営は成り立たない。行き届いたサービスや料理の見せ方にも気を配り、いかに個性を出すかが大事」。4年目の今も創意工夫にぬかりはない。
「松下に勤めさせてもらったことを感謝しています」。昨秋、関西経済連合会のパーティーで、モデル兼カメラマンの本堂亜紀さん(33)は、古巣の松下電器産業の森下洋一相談役と数年ぶりに言葉を交わした。
月刊誌や新聞など21本の連載を持つ本堂さんはカメラ片手に取材・執筆するジャーナリストの横顔も持つ。過去10年の取材経験で築いた分厚い人脈が何よりの財産だ。
●親善大使も務める
中国政府発行の観光案内の表紙モデルに選ばれた縁で、03年から上海観光親善大使を務めるなど、同国政府や上海当局幹部とのつながりは特に深い。中国、カメラ、女性論に関する講演会も年間100回以上こなす。多方面で活躍する本堂さんだが、その土台にあるのが松下OL時代からの下積みだ。
小学校から大学まではバレーボールのエースアタッカー。松下バレー部にも入ったが、腰痛が悪化し数カ月で引退。自分を照らすスポットライトが消えた喪失感を振り払いながら、本社受付嬢としてVIPへの対応業務を学ぶ日々が続いた。
現在の師匠でカメラマン兼経営コンサルタントの広中一人氏の講演を聞いたのはそのころだ。「女性が輝くには一生の仕事を持つべきだ」との言葉に感銘し弟子入り。松下OLのまま、アフターファイブはカメラやモデル業に熱中する二足のわらじが始まった。その後は苦行の連続だった。
ある日、中国語を3カ月以内にマスターしろと師匠が突然言い出した。がむしゃらにやってみたら、3カ月後には何とかなっていた。企業経営者の取材に付き添った際には経済の話が全く分からず、経済紙を毎日熟読して知らない単語を洗い出す作業を続けた。
モデルやカメラマンとして独り立ちしつつあった23歳で松下を退社。自分の力を信じ、一生輝き続けようと決心した。それから10年。カメラマン、モデル、ジャーナリスト。パズルのピースを埋めるように、ステップアップに必要なスキルと知識と人脈を1つずつ広げていった。
今、彼女の関心は環境先進地域の欧州に向く。EU政府関係者への接触も始めた。より輝くために何をすべきか、自分自身が一番知っている。
(大阪経済部 佐藤昌和)