現場で仕事することにこだわりたい〜アドビシステムズ ディレクター マーケティング本部長 伊藤 かつら氏(1)
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現場で仕事することにこだわりたい〜アドビシステムズ ディレクター マーケティング本部長 伊藤 かつら氏(1)
2007年3月5日
(聞き手:三浦 優子=フリーライター)
2005年、伊藤かつら氏は18年在籍していた日本IBMを退職し、アドビシステムズに転職した。転職を決意した理由を伊藤氏は次のように説明する。「大会社の管理職として働いていくことよりも、現場に近いところで仕事をしたいと思った」。そのまま在籍していれば、管理職としてより高い役職を目指す時期に差し掛かってくる。それよりも、現場に近い、新たな場所に身を置き働くことを選択した。
伊藤氏は、大学では文系の学生だった。であるにもかかわらず、日本IBM入社当時は、メインフレーム(大型コンピューター)の顧客に対してOSの操作を教える「インストラクター」として配属された。その後システムエンジニア(SE)になった。
18年働いた会社を辞め新天地へ
■伊藤さんは、1987年から2005年まで日本IBMで仕事をしていたんですよね?
伊藤 退職する直前まで、全ソフトウエア製品のマーケティング責任者をしていました。
■IBMは女性を積極的に登用する企業ではありますが、それでも責任ある役職を任される女性はまだ少ないと思います。そのまま日本IBMで仕事をしていればもっと出世するチャンスだってあったかもしれない。にもかかわらず、アドビシステムズに転職することを決意したのはなぜですか?
アドビシステムズ ディレクター
マーケティング本部長 伊藤 かつら氏
伊藤 18年間、日本IBMにいましたから、アドビから誘っていただいた後で、しばらく悩みました。
でも、自分のこれからの人生を考えたときに、「大会社の管理職になること」が本当に大事なことなんだろうか?と思い始めて・・・。管理職になって、現場から離れていくことがつまらなく感じるようになっていたんです。これから20年先の自分を考えたときに、「このままIBMで働いていては、楽しく仕事をしていくことができないんじゃないか」という結論を出したんです。
それに、「この会社の中で、見るべきものは見た」という気分にもなっていました。
■日本IBM時代に扱っていた製品は「WebSphere」など企業の情報システムのためのソフトウエア。対してアドビシステムズでは、カメラマンや映像作家などクリエイターが利用する画像作成・編集ソフト「Photoshop」などのソフトウエアを販売している。同じIT業界の会社といっても、メイン顧客層はクリエイター。IBMの顧客とは全く違います。
伊藤 そうなんですよ。記者会見一つとっても全然、雰囲気が違いますね。出席される方の服装も違うし、出てくる質問もソフトが持つ機能の細部に関するもので、最初は驚きました。「なんで、そんな細かいことをご存じなんだろう?」と。でもよく考えたら、雑誌の編集をされている方にアドビ製品は必需品なんですね。
■雰囲気が違うので戸惑うことはないですか?
伊藤 新しく挑戦することがあると燃えるタイプなんです。楽しく仕事をするというのが私のモットー。もう毎日、張り切って、楽しく仕事をしています。
■「もう嫌だ、仕事なんて辞めてしまいたい」と思うことはないんでしょうか?
伊藤 それはないですね。幸か不幸か、私はとっても丈夫で、体がボロボロで仕事ができないと思ったことがない。「仕事を辞める」という発想は私にはありません。一生、働き続けたいのです。
“吐くほど勉強”して文系の学生が技術系の仕事を身につけた
■大学を卒業し、日本IBMに入社したのは、「技術者になりたい」という展望があったからですか?
伊藤 全然違うんです。当時から、「一生、仕事をしていきたい」と思っていました。せっかく仕事をするのに、「女の子」なんて呼ばれるのは「冗談じゃない」と思っていました(笑)。女性でもバリバリ働ける会社はないか? と探したら、行き着いたのが日本IBMだったんです。
■IBMに入って、エンジニアとして働いていたと聞くと、子供のころから機械いじりが好きで、理科系の大学出身というイメージがありますが・・・
伊藤 いいえ、違います。大学は教育学部でした。365日、勉強もせず交響楽団の活動ばかりしていました。今から考えると、よく希望通り、日本IBMに入社できたなと思うくらい。ただ、私が社会人になった1987年は「将来、システムエンジニア(SE)が足りなくなる」といわれていた時代。日本IBMも大量に学生を採用して、SEに育て上げることに注力していましたから、タイミングがよかったんでしょうね。
■そうはいっても、文系の学生だった伊藤さんが、理系出身のエンジニアが多くいる会社で働くようになった。勉強することが多かったのではないですか?
伊藤 最初に配属されたのはメインフレーム(大型コンピューター)の顧客に対してOSの操作について研修をする部署。いわゆる「インストラクター」の仕事です。ハードとソフトの違いも分からなかった私が、メインフレームの使い方を人に教えなければならなくなったんですから、最初は大変でした。もう、文字通りへどを吐くほど勉強しました。
その成果か、入社してしばらくすると、有料のお客様研修のインストラクターとして仕事をするようになりました。「このOSの導入と設定方法はこのように・・・」なーんて(笑)。
■それは勉強の成果ですね。
伊藤 女性同期16人が私と同じようにインストラクターになったんですが、そのうち8割が文系。とても結束が固くて、お互いに励まし合って仕事できたのがよかった。
それに私、インストラクターの仕事に向いていたんだと思います。現在の仕事にも相通じるところがありますが、インストラクターには教えるスキルと共にコミュニケーションスキルが必要です。当時のIBMにはまだ余力があって、大勢の前で説得力を持って話ができるようプレゼンテーションの先生に教えてもらう機会もありました。このときに教えてもらったこと、例えば会場のどこにいる人とどれくらい目を合わせるか、といったことは今でも生かしています。
■伊藤さんの現在の役職、「マーケティング本部長」と「インストラクターの仕事」は遠い感じがしますが…。
伊藤 いや、そんなことはないですよ。プレゼンテーションをする相手は、インストラクター時代と現在では違いはありますが、どう話したら相手を引きつけることができるかといった点は同じです。あまり長い時間話していると、相手もだれてくるから、「ここでジョークを入れて笑わせる」とか、(バンと音を立てて)「机を叩いて相手をはっとさせる」とか。
■こうやって話を聞いているだけで、伊藤さんがプレゼン上手なのが分かります(笑)。
伊藤 (笑)結局、インストラクターの仕事は4年やりました。自分の天職だと思いました。
SEとしてやるべきことはほぼすべて体験
伊藤 ただ、IBMで仕事を続けていくためには、インストラクターの仕事だけでは難しい。やはり、営業の現場に出る必要があるんです。
次に私が配属されたのは、アカウント・システムズ・システムエンジニア。製品ではなくお客様を受け持つSEです。当時のハードウエアは、今よりもずっと値段が高かったし、価値もありましたから、1台のハードウエアを買うと、担当するSEも一緒についてくるという時代だったんです。私が担当していたのは、それほど大きな企業ではなかったので、いちばん多かったときには、1人で5社を担当していました。
■1人で5社を担当? 相当、忙しかったんではないですか?
伊藤 ええ、忙しかったですね。でも、今から考えると、「おかげで楽しい仕事をさせてもらったなあ」と思います。
売っていたのが大型コンピューターでしょ? 筐体(きょうたい)も今から考えると大きいですから、納入するだけで大騒ぎ。銀座に本社があったお客様のところに製品を納入するときには、あらかじめ警察に許可をとって道路を封鎖して、社内に商品を搬入するなんてこともありました。
■うわあ、銀座の道路を封鎖して製品搬入なんて、格好いい!
伊藤 アカウント・システムズ・エンジニアの仕事は、あるときはハードウエアを売らなければならないし、ソフトを売らなければならない場面もある。この仕事の後半にはサービスも売っていましたし、プロジェクトマネージャーとしてシステム導入を指揮する仕事もしました。ありがたかったことに、SEとしてやるべきことはほぼすべて体験できたんです。これは私にとって大きな財産となりました。
伊藤氏へのインタビューは3回連載です。次回は、3月7日(水)の公開予定です。
■伊藤 かつら(いとう かつら)氏のプロフィール
早稲田大学教育心理学卒業
1987年 日本アイ・ビー・エム入社 メインフレーム(MVS、VM)の顧客研修を担当する
1991年 製造事業部に異動 製造・装置産業担当システムズ・エンジニアとして経験を積む
1999年 1年間の海外留学を経て、ソフトウェア事業部に異動 インターネット用サーバー・ソフトウェア「WebSphere」の製品責任者として市場投入、各種マーケティング活動を指揮する
2004年 同事業部マーケティング本部長に着任 IBMソフトウエア全製品の製品戦略、マーケティング活動にかかわる
2005年12月 アドビシステムズ入社
現在に至る
フルート演奏、利き酒、ワイナリー巡りが趣味。週末は、田舎の空気を吸いに行ったり、友人とおいしいお酒を飲んだりして過ごす。
三浦 優子
1965年、東京都町田市出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、2年間同校に勤務。コンピュータとはまったく縁のない生活を送っていたが、 1990年、コンピュータ業界向けの週刊新聞「BUSINESS COMPUTER NEWS」を発行する株式会社コンピュータ・ニュース社に入社。13年間、IT業界のメーカー、販売店などを対象に取材活動を行う。2003年4月、同社を退社し、現在はフリーライターとして取材、執筆活動を行っている。